父親は歯科医で両親は彼女にも歯科医か医師になるように望んでいたようですが、アーティストの道を進み、Maryland Institute College of Art でmaster’s degree をとっています。またSheraldに健康上大きな問題が忍び寄り、30歳の時にトライアスロンに参加する前に行ったドクターから心不全の診断を受け、2012年39歳で心臓移植をしています。
Hilma af Klint: Paintings for the Future :ヒルマ・アフ・クリント
Guggenheim Museum, New York : October 12, 2018–April 23,2019
(Keeper 2にもHilma af Klint の作品が載せてありますので、合わせて見てください。)
一年以上前に見た展覧会ですが、まとめてみました。
Hilma af Klint (1862-1944)は1906年にすでに abstract imagery(抽象的な描写)をしていました。20世紀の抽象の先駆者と言われているWassily Kandinsky (1866–1944), Piet Mondrian (1872–1944) and Kazimir Malevich (1878–1935)より数年前の事でした。
Hilma af Klint は1862年にSwedenのStockholm で生まれました。1880年の妹Herminaの死から、彼女は急速に宗教とスピリチュアリズムに興味を持ち始めます。当時女性生徒の最初の世代の一人として1882年から87年にかけて Royal Academy of Fine Artsで学び、その後もナチュラルな技法でクラシックな風景画、肖像画などを描きその時代の成功したアーティストでした。実際にストックフォルム中心地のEdvard Munch(1863 – 1944)の作品を展示していたギャラリーの上の階にaf Klintのスタジオはあったそうです。
igurative work; Ketty 20.2 x 27.5 cm
af Klint はこの表向きの画業の他に密かに他の作品も制作していましたがその作品は1986年にThe Spiritual in Art: Abstract Painting,1890-1895(the Los Angeles County Museum of Art)で展示されるまで、ほどんど人の目に触れることがありませんでした。
Hilma af Klint は1944年ストリートカーの事故に遭い82歳の誕生日を迎えるほんの数日前に他界しましたが、晩年の生活は豊かではなかったようで、その時残っていたのは292kronor(約$32)だけだったそうです。
Hilma af Klint は1896年から他の四人の女性とDe Fem ( The Five という意味)というグループを作って、金曜日にメンバーの家で集まりseances(降霊術の会)をしました。(Amaliel, Amanda, Esther, Georg and Gregor と名乗るthe ”guide” あるいは ”High Masters”)とコミュニケーションをしたり、メッセージを受け取ったりしたと信じていました。af Klint がThe Fiveのその活動を文とオートマティックドローイングで記録をとったノートがたくさん残されています。
1904年にaf Klint はseanceでHigh Masterから”Painting for theTemple”のコミッションを言い渡され、”Painting for theTemple”のために1906年から1915年の間に193点の作品を作っています。
The Ten Largest, No.1 and No.2 Childhood (1907)
The Ten Largest No. 3 No.4, Youth (1907)
The Ten Largest No. 5 No. 6, Adulthood (1907)
Ten Largest No. 6, No. 7, Adulthood (1907)
The Ten largest(テンペラで紙の上に描かれています。大きさ:約320cmx235cm)は”Painting for theTemple”の中のシリーズです。子供から年老いていくまでの過程(childhood, youth, adulthood and old age)が表されていて、花、種子、ジオメトリック、細胞、文字、言葉を組み合わせて複雑なイメージが作り出されています。当時話題を呼んでいたバイオロジストのErnest Haeckel の生物のイメージのポスターの影響も見られるかもしれないそうです。
Hilma af Klint: Paintings for the Future :ヒルマ・アフ・クリント
Guggenheim Museum, New York : October 12, 2018–April 23,2019
Primordial Chaos (1906-07)
Hilma af Klintは螺旋にかなり興味があったようで、繰り返し使われています。またシンボルに関しては彼女ののノートブックの記述にdevelopment of matter(W),out of the spirit(U) とあるように、Wは Matter、 U はSpiritを表しています。色に関してはブルーが女性でイエローが男性、グリーンがそれらの調和のとれた融合だそうです。
Guggenheim Museum, New York : October 12, 2018–April 23,2019
Violet Blossoms with Guidelines (1919) 50 x 26.8 cm
Series V (1920)
Series V No. 4 (1920) 39×28 cm
Hilma af Klintは1920年にスイスのDornachを訪れ、そこに滞在してanthroposophyについて学び、たくさんのRudolf Steinerのレクチャーに参加します。その影響でaf Klintはジオメトリック的な表現を捨て二年間の制作の中断の後60歳を超えた段階でスピリチュアルな要素をwatercolorで表現し始めます。
(1922)
(1924)
(1931)
(1931)
Hilma af Klintが意味したTempleというのはどういうものだったのかはわかりませんが、“paintings for temple”は円形の建物に飾られ、訪問者はスピリチュアルの道に沿って螺旋状の経路を上方へ向かっていくと思い描いていたようです。
Hilma af Klint の1930−31年のノートブックから:plans for a temple
Frank Lloyd Wrightのグッゲンハイムの建築のスケッチは1943年、Hilma af Klintがこの世を去る1944年の一年前のものです。グッゲンハイム美術館の創始者の一人で初めのディレクターありアーティストだったドイツ人のHilla Rebay(1890 – 1967)のFrank Lloyd Wrightへのグッゲンハイム美術館の建築の構想の依頼の手紙にはスペースが”temple of the spirit”であるようにと書かれていたそうです。Rebay自身もTheosophistで、Jean ArpなどのTheosophistのアーティストやライターとの交流も多かったそうです。
(ちなみにSolomon Guggenheimの没後10年、 Frank Lloyd Wrightの没後六ヶ月の1959年10月にWrightが設計したグッゲンハイム美術館はオープンしましたが、Hilla Rebayはグッゲンハイム家との亀裂からオープニングには招待されず、亡くなるまで一度も足を踏み入れた事はなかったそうです。)
Hilma af Klintの作品が1900年代に作られた事にまず興味を持ちました。とてもラディカルで、抽象、そして大きなサイズですし、秘密がありそうで謎めいていて、その時代の作品としてはめずらしい色使いだったのです。ほとんど知られていなかったスエーデン人の女性アーティストによって作られたものでしたが、大胆に立ち向かっていた女性だと思いました。af Klintは彼女のすべてを投入していたのがわかります。彼女は驚くべき一貫性を持って成就し彼女の生きた時代にはまだ形作られていなかった世界をものにしていると思いました。
さらに驚いたことにこれらの大きなスケールの作品は抽象的美術の先駆者と言われているカンディンスキー、モンドリアン、マレービッチ、クプカ以前に作られていた事実です。Hilma af Klintは自分の作品を秘密にしていましたが、それとは対照的に彼らは展示して世の中に発表していたわけです。
今私たちはこうしてバラエティーに富んだ彼女の作品を見る事ができます。しかし彼女は当時の人々に自分の作品は理解してもらえないだろうと思っていたので自分自身の死後20年経ってから公表するように遺言を残していました。Hilma af Klint は100年前に将来を描いていたと言えるかもしれません。その将来というは今現在にあたるのですが。
af Klintの作品にはいろいろな意味合いがあります。彼女はムンクのように正統な美術教育を受けています。まずKonstfackというテクニカルスクールで学び、そこではKerstin Cardonから肖像画の指導を受けています。その後(1882−87)Academy of Fine Arts で五年間学びました。このように彼女は確固とした美術教育を受けていたのです。
(Hilma af Klint のスタジオの近くのBrunkeberg SquareのTelephone tower)
その他に1800年後半にはHeinrich Hertzがelectromagnetic waveを発見しtelegraphyが発達します。当時の人々は自分の周りの空間が目に見えない電波に満たされているという概念を持ち始めたのではないでしょうか。私たちの世界が私たちの知覚でつかみ取れるもの以上であるという認識はその頃の人々にとって、とても大きな衝撃だったのです。Hilma af Klint と同世代の他のアーティストと共にカンディンスキー、マレービッチ、モンドリアン、などの抽象美術の先駆者たちもこの状況に高い関心を持っていました。彼らは皆私たちが知覚しているリアリティーより大きな世界とのコンタクトを望んでいたのです。
また当時の女性のアーティストの立場を理解するのも重要です。スエーデンでは1800年代の末期にaf Klint のように女性も美術学校で勉強する機会を与えられましたが、教育が終わった後は男性社会である美術の世界に快く迎えられる状況ではありませんでした。女性アーティストはすでにあるものを模倣することぐらいしかできないし、何も新しいものは作れないと男性アーティストは思い込んでいたのです。女性アーティストからクリエイティブな作品は期待されてはいなかった時代に、実際にHilma af Klintは遥かに予想を超えた1000点からなる作品群を作っていたのです。
グループは金曜に集まってseancをしました。”意識のさらに上の層”とコンタクトをしたのです。Hilma af Klintはやがて霊媒の役割をするようになり、”意識のさらに上の層”からのメッセージを伝えたようです。そしてこの活動は”Painting for the Temple”へと繋がっていくことになります。
(the Fiveの祭壇:Hilma af Klintのアーカイブから)
193点の作品から成る”Painting for the Temple”は1906年から1915年の間に作られました。その中にはとても大きなサイズの作品が含まれています。一番大きな作品は高さ:3.25m、幅:2.40mです。従来からあるどうやって作品を作るかのルールを方法と形状の両方において、彼女はここですでに破っていたのです。Hilma af Klintが大胆に彼女のすべてを作品に賭けていたのがわかります。”Painting for the Temple”の制作中には”意識のさらに上の層”とのコンタクトがあり、それらが彼女をガイドしていたと思われますが、初期のガイダンスはかなり強く、後にだんだんとその度合いは弱くなっていったようです。
”Painting for the Temple”はたいへん興味をそそられる作品です。主題がいくつかあり、またいろいろな違った視点から観れるようになっていて、それぞれがシリーズになっていています。そしてその主題ごとのグループがまたサブグループに分かれるというサイエンスのシステムのような構成です。それぞれがどうのように繋がっているか探求していたようです。atomsを研究したシリーズのようにcosmic dimensionsとmicro dimensionsを行ったり来たり、小さなものと大きなものを両方見ています。彼女にとってmicrocosmとmacrocosm は同等のものだったのです。
今回の展覧会では彼女のartistiry が複雑であった点を提示できる企画にしました。私たちは今回Hilma af Klintの残していったすべての作品にアクセスでき、何十年間も開けられることのなかったいくつもの箱を開ける事ができました。その中には紙が丸められた一度も展示されたことのないパステルで描いたものなどもありました。Hilma af Klintと彼女の四人の仲間が残した125冊のノートブックの内容を調べて25000ページをデジタル化したりしましたが、これは大きなリサーチプロジェクトでもありました。
私たちは作品を写真に撮って記録し修復もしていますが、彼女が思慮深く注意を払いながら分析するアーティストであったことがよくわかります。Hilma af Klintは探求することが女性のアジェンダではなかった時代に自分自身のビジョンに基づいて勇敢に自分のすべてをかけて進んで行ったのでした。
私たちは男性と女性、昼と夜、暑いと寒いなど両極をなすものが存在し、それで世界が成り立っているという概念で知覚して世界を見ているのかもしれません。Hilma af Klint の作品はそんな私たちを表現しているように思います。Hilma af Klint と彼女の仲間はこれら一見両極に見える物や現象の背後はすべて交わっていて、全部お互いに調和していると考えました。そしてそれらを超えて全てのものが繋がって一つになった世界を私たちは見ることが出来ていないのではないでしょうか。彼女がイメージを通して伝えようとしていた真髄はそこにあるのかもしれません。
1906年ぐらいから彼女は絵の中に文字を使い始めます。また文字に加えてシンボルも使われていますがそれを全部解読するには難しいものがあります。彼女はUは Spirit(精神)を表し、WはMatter (物質)を表すと言っています。また彼女の多くの作品は“matter developing from the spirit”をテーマとしていて、常に全ての生命は動いていているとしています。また進化をテーマにしたグループ、白と黒のスワンをテーマにしたグループもあります。
af Klintのノートブックを調べてみて驚いた事ですが、1920年年代1930年代と彼女は数千ページにもわたって消したり書き直したり編集していて、またあるノートブックは廃棄しています。彼女は自分が書き残したものがより一層納得できるものになるように作り変えていたのです。この事だけでもすごく興味深いと思います。このとても心惹かれるaf Klintのartistyは私たちは自分自身の視点を持って大胆に行動できる存在であるという事を思い起こさせてくれます。
私たちは今グローバル化された世界に住んでいます。大陸間の距離は縮まり、短い時間で旅行ができてみんな繋がっています。どこかで環境に影響を与える災害があれば繋がっているので私たちにも関わってきます。みんな繋がっているのです。Hilma af Klint が描いた絵は今日の私たちに理解しやすいかもしれません。そして若い世代の人たちはもっとオープンであるでしょう。
Moderna Museet Malmö で今開催されている展覧会からのインフォメーション:
Hilma af KlintArtist, Researcher, MediumApril 4, 2020–February 21, 2021